人の不幸を笑うな

NHKヘイトスピーチ特集で写ったネトウヨの画像が話題に

思想を笑いものにすることと貧困を笑いものにすることは違うということを、作り手は考えてほしい。

よく「下流なのに自民党を応援する愚か者」みたいに言われるが、極端な話、彼らにとって思想の右左なんてどうでもいいのだ。彼らが生きてきて数十年、自民党以外が政権政党になることも何度かあった。だが彼らは幸せにならなかった。彼らは生まれてこの方、ずっと不幸なのである。そしてこの先もずっと不幸なのである。死ぬまで孤独なのである。そして、彼らはそれに気づいている。

知らない、気づかないふりをしているのは彼らを笑う者だけである。彼らを笑うものは、彼らが「転向」すれば幸せになれると思っている、いや、無責任にそれを信じている。それは世界をいいものだと思っている人たち特有の傲慢さと天真爛漫さだ。あるいは残酷さだ。

どこが政権を取ろうと自分たちが幸せになれないのなら、せめて上位10%の勝ち組の気分で不幸な人生を何とかごまかして、そして死んで行く自由くらいあってもいいだろう。それが思想の自由だ。目の前の不幸と向き合わない自由もある。

そして彼らのヘイトスピーチは、不治の病の患者のうめき声だ。あるいは何か信じるものに対する祈りだ。死に行くものの祈りを、非科学的だの非論理的だのと笑うことなどできるのだろうか。

だからといって、誰かを傷つけていいとは言えない、という声もあるだろう。だが、彼らが石を投げ、デモの標的にする人たちのほうが、彼らよりはるかに幸せなことに気づいてほしい。10数年後、彼らの「標的」が子供の卒業式で感動の涙を流している時に、彼らは人生を諦め、公園のトイレで孤独に首を吊っているのだ。

この画像の現在と、そういう未来を配慮した上でも、彼らを笑えるだろうか、彼らの祈りを止められるだろうか。