底辺が受ける説教が常に不毛な理由

一般的に「底辺層に説教したがるのは保守系(あるいは右寄り)の人たち」というコンセンサスが半ばあるが、この記事を読んで右も左も底辺層を正しく認識してないと感じた。

アナキズム・イン・ザ・UK 第16回:貧困ポルノ | Benefits Street | ele-king

特にこの部分が印象的だった

 アンダークラスの人々を知った当初、「24時間自分の好きなように使えるのに、どうして彼らのライフタイルには幅がないのだろう」と不思議に思ったものだった。しかし人間というものは、HOPEというものを全く与えられずに飯だけ与えられて飼われると、酒やドラッグに溺れたり、四六時中顔を突き合せなければならない家族に暴力を振るったり、自分より弱い立場の人々(外国人とか)に八つ当たりをしに行ったりして、画一的に生きてしまうものののようだ。
 「それはセルフ・リスペクトを失うからです」と言ったのは昔の師匠アニーだった。自らをリスペクトできなくなった人間に、もう国は貴様らを飼えなくなったから自力本願で立ち上がれ。というのは無茶な話だ。自力本願。というのは各人が自分の生き方の指針にすべき考え方であって、それを他人にまで強要するのはヒューマニティーの放棄である。自力を本願できる気概やスキルが備わっていない人間を路傍に放り出せば、英国だって餓死者が出る社会になるだろう。

右の人たちは彼、彼女らを「怠け者なだけ」といい、左の人たちは彼、彼女らを「プライドを失っているだけ」と言う。ここには右の人たちの「自らの力で成功した」という自負があり、左の人たちの「誰でも可能性を持っている」という、ある意味で「人間賛歌」がある。この「人間賛歌」、実は右の人たちの冷たくて自画自賛に溢れた高慢な言い分の中にも見いだせれることは見過ごされがちだ。つまり「どんな人間も努力すれば成功できる」と。

現代的、一般的ポリティカル・コレクトネスで言えば、左系の人たちの言い分の方が「善人っぽい」、もちろん右系の人たちは良く言えば「リアリスティック」である。

しかし、どちらも本質が見えてない、という点では平等に間違っている。

両者に大前提として抜けているのが、「どうしようもなく人間には優劣がある」ということである。これを外的要因、つまり環境のせいという要因にするか、あるいは運に恵まれなかったことにするか、もちろんその要素も大きいだろう。あるいは内的要因、努力が足りない、我慢が足りないという精神論の世界に置く場合もある。

しかし、環境や運を与えられても、それを活かせなかった人間がいることを、右にも左にも前提として理解しておいてもらいたい。そして、我慢や努力も才能のなせるわざなのか、という議題が、いまだ解決していない議題であることについても、前提としておいておいてもらいたい。

と言いつつも、この先、この問題が解決することは無いと思うんだけどね。
唯一の問題解決の道は、底辺層を舞台とした右と左の「限定戦争」を終結させることなんだから。