「アフロ・ディズニー」を読んで黒人=オタクを考える

好きなんですよね、菊地成孔の書くもの。

センセーショナルな副題である「オタク=黒人」ってのは、幼児性と被差別階級(あるいは意識)の問題で、この辺はまあ大雑把に頷ける。
で、面白かったのは「ミッキーマウシング」に関するもので、長いけど引用

このような視聴覚の過剰なシンクロを、現在の映画音楽界の用語で「ミッキーマウシング」と呼ぶのですが、これは好例ではなく、悪例、ストレートにダメだということを意味します。
「ミッキーマウシング」は、描かれているもの総てに解説としての音を伴わせることで、「そこで起きていることの総てが、明確なメッセージとして、こちらに理解できるように発信されている」という強烈な感覚を顧客に与えます。ミッキーに代表されるようなアニメーションにおいては、いわば映っているもののシグナル/ノイズ比が100:0に調整されてあり、ここに映っているものの総ての意味が自分には分かる、ここにあるものの総ては自分に向かって意味を発している、という感覚は、我々に大いなる全能感を与えます。
この全能感は、自分に理解できるものだけで周囲を形成する、子供部屋における幼児期のそれや、さらに遡って、受動的に世界が思うがままになる、客観的には無知無能である幼児の全知全能の主観に非常によく似たものであり、北米における「童心に返る」という感慨の発明と発達は、このような過剰な同期、強シンクロ性を持った「トーキー」によってなされたものなのではないかと、私は思っています。
p158,p159

この辺の感じってまさに、アニメのオープニングとかエンディングとか、いわゆるMADと呼ばれるものの感覚ですね。
いや、「オタクの幼児性」に関して今更それを指摘するのも香山リカみたいでサディスティックであれなんですけど、「技術」として幼児性を指摘したのはなかなか新しいかと。
「幼児的万能感」って言葉も、一昔前にちょっと流行った「ネットの人達」を揶揄するキーワードだったり。通底してる感はありますな。

で、「何故黒人は揺れて、オタクはジャストなのか」ってのを後編(まだ出てない)で解決してくれるといいな。

で、あと面白かったのがオタクと関係ないけど

菊地 着歌ベストテンのPVを十曲流すという番組を、いつも寝る直前に見るんだけど、十位から一位までの間、ロケが全部、田舎の高校なんだ。ほとんどが青春フォークロックで、その中に数曲、加藤ミリヤさんとかがいて、「夜の六本木」みたいなさ。夜の六本木って、おっさんみたいだけど、そのうち加藤ミリヤさんのPVも田舎の高校になっちゃって。いかに日本のユース・カルチャーが地方の高校から卒業しないかという(笑)。
p274,p275

まぁ、どこもかしこもいろいろとダメだってことで。いや、これが一番楽に稼げるのは分かるんだけど。